第9地区と移民問題
昔から気になっていた「第9地区」というSF映画を見たので、感想文に似た何かを書いた。
※ネタバレを含みます。
SF映画の種類
コンテンツとしてのSF映画には2種類あって、それぞれ楽しみ方が違う。
ながら見ができるものと、出来ないものだ。
ながら見ができるタイプのSFの有名どころは、例えばインデペンデンス・デイ:リサージェンスなんかがそうだ。
いわゆる、「宇宙人がやってくる!やっつけろー!」系の、映像を見なくても展開が大体わかるアレだ。
ながら見ができないやつは、例えばトランセンデンスやインセプションあたりだろうか。
世界観や設定、展開が独特で、それらを把握するのに気を使うのだ。
第9地区
第9地区がどちらのくくりになるかと言えば、どっちでもなかった。
宇宙人(作中ではエビとも言う)が20年も地球の一角に滞在し、社会問題化しているヨハネスブルクが舞台。
ドキュメンタリー調で話が進み、まるで史実であるかのように演出する。過剰なほどのグロテスク描写も、真実味を帯びさせるのに一役買う。
主人公のヴィカスは、MNUなる民間軍事組織に所属する、地球人のクズ代表だ。難民エビたちを第9地区から退去させ、厄介払いをするプロジェクトを押し付けられる。
彼は作中通してなぜか死亡フラグをたてまくる。
しかしながら彼はクズなだけでなくアホなので、任された仕事にイキリっぱなしだ。
プロジェクト中に見つけたものにあれやこれやと難癖をつけ、いじり倒していく。エビの卵を燃やして爆笑する描写が、二つの意味で爽快だった。
この主人公のおかげか、本作ではずっと緊張感があるのだ。いつエビに殺されるのかとヒヤヒヤさせられる。
若干意味合いは違うが、緊張感という意味ではオール・ユー・ニード・イズ・キルに近いものがある。
彼がいじるものの中には当然危険なものも含まれていた…のだが、これ以上は映画を見て欲しい。
風刺
さてどうもこの世界の宇宙人の起こす問題には、現代の戦争や難民といった問題に通じる部分がある。
この映画は、2009年に公開され、アパルトヘイト政策を風刺した映画として、かなりの高評価を得た。
第9地区:アパルトヘイトを彷彿させる人間たちの残酷さ - ビールを飲みながら考えてみた…
だが実は公開当時も、アパルトヘイトだけでなくあらゆる差別問題をくすぐる内容だったと評価されている。
映画「第9地区」って何かを風刺しているように思えませんか?... - Yahoo!知恵袋
しかしながらさらに時の進んだ2018年では、この映画はまた違った意味を持ってくるように思えた。
EUの難民問題
2015年欧州難民危機を知っているだろうか。
日本のメディアはあまり取り上げなくなったが、EUはとっくにパンク状態だ。
内紛状態のリビアやシリアからやってくる難民の数は、最大で年100万人を超えていた。
難民による性被害も巨大なものになり、治安の悪化も声高に叫ばれている。下記は欧州の移民・難民問題とテロリズムについて論じた政策オピニオンだ。
この文書に、ゼノフォビア(xenophobia:外国人嫌悪)という言葉が出てくる。これは、xenos(外国人)とphobos(嫌悪)を含む造語で、そのままの意味だ。
なぜゼノフォビアが発生するのか、どういった人がゼノフォビアを抱いてしまうのかについても、上記文献で述べられている。
EUにおけるゼノフォビアは、移民に対して向けられる。移民の流入のせいで、自分たちの生活の質を落とされていると感じると、その敵意は移民に向く。
全ての移民が悪いわけではないとわかっていながら、0か1、善か悪、で物事を判断する。
そもそもの仕組みやシステムに理由を求めず、「わかりやすい敵」に敵意を向けるのは歴史的にいつも行われてきたことだ。
第9地区では、エビたちへの明確なゼノフォビア描写がある。なにせこいつらは見た目は凶悪にデフォルメしたエビで、キャットフードとタイヤが大好きで、しかもめちゃくちゃな騒ぎを起こすのだからこれも当然かもしれない。
「第9地区」はいかにして解決すべきだったのか
作中では、第10地区への移籍によって、「臭いものに蓋」式の解決法を取っていた。
この処置の根底には、エビが下等なもの、ほとんど対話に値しないものという前提が推し量れる。
歴史は繰り返す。人類はアパルトヘイトから何も学んじゃいない。というわけだ。
だがそもそもエビが地球にやってきたその技術をして、圧倒的に人間のそれを上回っている。
宇宙船のリバースエンジニアリングなり、その他色んな研究ができたはずで、それによって人類の科学レベルは飛躍的に向上させることができただろう。
エビは人類に発展をもたらすことができた(はずだ)。
エビは敵ではなく、人類の発展に寄与する味方なのだ。
だが感情をコントロールして、最適行動を取れる人間は多くない。エビの見た目によってもたらされる不快感は非常に大きいため、エビを味方として捉えられる人間はほとんどいない。
これは資本主義の破綻と似た構造を持っている。
AI研究者の新井紀子氏の講演で、非常に的確な指摘があった。
新井紀子氏「資本主義社会が不可避に生む不公平と格差はリテラシーをもつ市民による民主主義で乗り越えられるはずだった。この前提が崩れてきている(市民はリテラシーを持つという仮定が苦しくなってきている)」
— sho_yokoi (@sho_yokoi) November 14, 2016
資本主義は難しい社会システムであり、参加するには一定以上のリテラシーを必要とする。
しかし市民が自発的に学ぶことを前提とした社会システムでは、感情面での制約が強い課題に対処することができない。感情が「知る」ことを避けてしまうからだ。
最後に議論を飛躍して結論を述べると、
民主主義以外の、新たな社会システムによって、個人の思考の仕方を再インストールして、問題の発生を抑えることが必要だったのだろう。
僕は個人が悪いのではなく、システムが悪いと考えたい。アパルトヘイトも、第9地区も、同じ構造の同じ社会システムが生み出した。この社会システムはもはや持続的でない。新たなシステムが必要なのだ。
どういった社会システムが実際に有効なのかは、この記事の範疇を超えそうなので、またどこかで書ければ(調べられれば)と思う。
最後に
グロが大丈夫な人全てにオススメできる良作SF。もっと早く見ておけばよかったと思った。